dangkangの日記

主に日常,たまに研究と仕事について

Rhizomatiks Research x ELEVENPLAY "border" at YCAM

というわけで、2/28はYCAMにて、Rhizomatiks Research x ELEVENPLAY のborderを観てきましたよ。スパイラルでの公演は気づいたらチケットが売り切れていて、体験できず終い。facebookで色んな方がすごいと言っているのを眺めて悔しい思いをしたので、本番はYCAMという話を聞いて、チケット発売日を調べ、発売開始時間に即座に購入。

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体験終了後、興奮も冷めやらぬまま、instagramにはボキャブラリーの少なさを露呈するようなコメントをしてしまったけど、一晩経って落ち着きも取り戻してきたので、普段ライゾマについて考えていることと併せて、ブログにでもまとめようと筆を取った次第です。

 一応作品の概要を説明しておくと、無線制御されたWHILL(SDKあるんですね...)に乗った体験者が、カメラ付のOculus被って、現実空間と仮想空間の境界線(border)を行ったり来たりして楽しむという体験型アート(意訳)。パフォーマーのみなさんはPerfumeの振付師のMIKIKO先生率いるElevenPlay。音楽はevala。作品は二部構成になっていて、実際の体験(10分程度)と、中2階の席からのパフォーマンスの鑑賞という流れ。メインスクリーンには体験者の1人のOculusに投射されている映像と同じ映像が投射されている。

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参考までに昨年のスパイラルの様子

www.youtube.com


何がすごいって、この作品の凄さは体験したひとにしか、わからないってことなんだよね。Oculus装着すれば再現できるかって言うとそうではないし、パフォーマーとWHILLの存在がないと成り立たない。さらに言えば、他の体験者も自分の世界を構築する要素になっているので、ここまで来ると体験自体の再現性はないに等しいと言っていい。

例えば、ナースの格好をしたEvelenPlayのダンサーがパフォーマンス中に体験者にタッチをしてくる。実際にタッチしているのかもしれないし、タッチしていないのかもしれない。いい匂いがしたというコメントをtwitterでも見たので、存在はしていたはず。あるいは、パフォーマンス中に見た他の体験者自体もその場に存在していないのかもれしれない。なんてことを永遠に考えてしまい、思考の狭間に押し込まれてしまう。このborder感は本当に体験してみないとわからない。

ちなみに、EvlevenPlayの皆さん、衣裳はナース服をモチーフにしていた。これは、車椅子に対するナースという解釈であっているのだろうか?もちろん、WHILLはパーソナルモビリティであって、車いすではないという認識ではあるが。

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いったんborderから離れて、ライゾマの作品性そのものについて少し触れておきたい。彼らの作品は、非常に独自性が高い。これは某ラボの作家性とは真逆であって、彼らは、(意識してか)日本らしさ、日本の作家の作風や作品それ自体をモチーフとして活かしながら作品を作っている。一方、ライゾマの場合は、あくまでレファレンスとして技術的、あるいは、表現に関するサーベイを徹底的に行いつつ、最終的なアウトプットの段階ではそれらがわからないほどに再構築している。

また、ライゾマの作品の特徴はインテグレーションにある。これもまた某ラボとの比較になってしまうが、某ラボは流体力学上の物理モデルなど、高い開発力をベースに、作品を実装している。一方、ライゾマの場合は、新しいハードとそのハードがもたらす新しい表現と体験を常に取り入れている。これらのハード、さらには、ライブラリのインテグレーションに対する創造性こそ、ライゾマの強さであると思っている。

 

さて、イノベーション研究の分野には、社会文化モデルの急進的な変化という現象がある。イノベーションの前後で、製品言語や製品体験の持つ意味が全く変化してしまうことを意味している。例えば、wiiはゲームにおける社会文化モデルを急進的に変化させた。wiiの登場以前、PS2xboxは、ゲーム好きのために高解像度、高性能、高没入感を伴うゲーム機を提供していた。一方、wiiは、ジェスチャコントールを採用し、誰もが気軽に遊べるゲームをデザインした。wiiはゲームの社会文化モデルをwii以前と以後で急進的に変化させてしまった。

このようなモデルを踏まえて考えるみると、体験型アートにおいても、意味の急進的な変化が起きつつある。メディア・アートが登場して以来、再現性やアーカイブ問題というのは幾度となく話題に上がってきた。この作品が切り開いた、現実空間、VR、移動体(自己)、パフォーマー(他者)で構成される体験型アートは、完全にこれまでの体験型アートの社会文化モデルを急進的に変化させてしまった。つまり、ここでは、もはや客観視点での再現やアーカイブという発想は、完全に死に追いやられてしまう。再現性を担保できない、他人にシェアできない体験それ自体が作品となってしまった。

 

デザイン・ドリブン・イノベーション

デザイン・ドリブン・イノベーション

 

 

なんだか興奮してここまで書いてきたけど、山口でこの作品が見れたことに、山口出身の人間として嬉しいです。YCAMは素晴らしい施設だし、こういった機会にもっとみんな遊びに来てもらえると嬉しいです。しかし、表向きの話は知っているんだけど、YCAMが作られることになった裏話みたいなのにすごく興味ある。人口わずか20万の都市に、日本で最も先進的な展示施設があるってすごいことだよ。

 

ちなみに、2/28 15:50の回を予約していたのだけど、レノファの開幕試合のおかげなのか、道が激混み。YCAMに到着したのが15:45。駐車場での車庫入れに手こずり、受付に到着したのが15:49。20分前に来てくださいと言われていたので、余裕でアウト… キャンセル待ちで待つこと1時間。17:10の回で漸く見れました。受付の方、ご対応ありがとうございました。

ちなみに、WHILL1台100万、MBP1台25万、Oculus1台4万で、1人あたり130万。体験者は最大10人だから、これだけで1300万かぁ… 富豪的アートだ。

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それではごきげんよう!