dangkangの日記

主に日常,たまに研究と仕事について

border 2021 at Spiral Hall

2021年2月13日に、青山スパイラルにてborder 2021 を体験してきたよ。実際に現場で体験したあと、「ヤバい」という語彙力ゴミな感想しか出せなかったので、頑張って言語化を試みた記録です。

 

2015年版のborderを体験した際には「再現性」という観点からこの作品について記述したが、今回は、「関係性」の観点からその独自性を記述してみたい。

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関係性という概念を用いるにあたって、その理論的背景となるアクターネットワーク理論(以下、ANT)について簡単に説明しておきたい。

カロン、ラトゥールなどによって展開されたANTは、社会科学における理論的、方法論的アプローチのひとつであり、社会的、自然的世界のあらゆるものを、絶えず変化する作用のネットワークの結節点として扱う点に特徴がある。例えば、ANTの元では、社会は、「人間と人間以外の存在者を含む異種混交的な関係性が絶えず新たに生み出されていくプロセス」と記述される。

このような記述を踏まえると、borderは、「体験者と体験者以外の存在者を含む異種混交的な関係性が絶えず新たに生み出されていくプロセスを体験可能なインタラクティブ・アート」と記述される、従来にないインタラクティブ・アートと言える。 

社会的なものを組み直す: アクターネットワーク理論入門 (叢書・ウニベルシタス)

 

従来のアート、例えば、絵画や彫刻などのいわゆるファインアートは、体験者と作品の関係性は静的なものであった。その作品を見る体験者の心理的状態というパラメータや、作品の置かれた状況(ルーブル美術館にあるのか、東京国立博物館にあるのか)はあるものの、1人の体験者、作品、製作者の関係性は、3つのアクターの静的な関係性として説明できる。

 

一般的なインタラクティブアートの場合、時間軸という概念によって、体験者と作品の関係性は動的なものになる。例えば、体験者の手の動き方によって、映像がインタラクティブに変化するような作品の場合、進行する時間軸に沿ってインタラクションを重層的に繰り返すことで、都度、体験者と作品の関係性は変化する。しかしながら、この時、作品を構成する要素そのものは変化していない。

 

borderの場合、話はより複雑となる。borderは、物理空間および情報空間に存在する10台の体験者、体験者の乗ったWHILL、5人のダンサー、5台の立方体、そして、10人の観覧者との関係性が、絶えず新たに更新されることで成立する作品である。進行する時間軸に沿って変化する、物理空間と情報空間上の10名の体験者の乗ったWHILLの動き、5名のダンサーの動き、5台の立方体の動きは、これらの関係性を絶えず変化させるだけではなく、時に物理空間と情報空間のborderに存在するダンサーによって、作品を構成する要素そのものまで変化している。

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このような関係性に着目した記述に加えて、語りうることの困難さという観点からも、この作品の独自性を記述できる。

 

従来のアートの場合、アーカイブによる再現や追体験が可能であり、体験者同士で自らの体験を語りあうことができていた。例えば、絵画の場合、作品を撮影した写真を閲覧することで、追体験が可能であるし、体験者同士で見え方が異なることもない。

 

一般的なインタラクティブアートの場合、差分は生じるものの、体験者同士で自らの体験を語りあうことができていた。デモ動画を見ただけで十分理解できる作品はさておき、魅力的なインタラクティブ・アート作品は、体験して初めて理解できる。ゆえに、現場での体験に価値が生まれる。作品を構成するパラメータの数とインタラクション次第で、体験者ごとの体験が異なってくるがゆえに、語り合える内容に差分が生じるてしまう。

 

borderの場合、さらに話は進んで、語り合うこともより困難となる。体験者は、作品体験中に、その他の体験者、5名のダンサー、10人の観覧者、さらには、情報空間に提示される映像によって構築され、かつ、リアルタイムで更新されつづける世界の"一部"を垣間見ることができる。各体験者は1から10の定められた番号の位置から垣間見た世界のみを体験しており、その世界について語り合える相手は、同じ番号の位置のWHILLを利用して作品を体験した体験者のみに絞られてしまう。加えて、唯一体験者が制御可能なパラメータとして残された視線もまた、体験者ごとに異なるため、いよいよ語る対象としての世界の同一性は失われてしまい、語りあうことは困難となる。

 

borderでは、観覧席での視聴とオンラインでの視聴という2つの作品を視聴する機会が設けられていた。前者は作品体験後の体験者である。後者は現場に来れないユーザ向けのサービスであるが、ここまで説明したことを踏まえれば、体験者のそれとは全く異なることがわかるだろう。

 

観覧席の視聴者は、スクリーンとステージの様子を閲覧することができる。当然ながらHMDから見える映像、つまり、ダンサー、その他の主体験者、観覧者といったアクターを含む物理空間と情報空間という2つの空間が混在し、かつ、操作された時間軸に基づく視覚情報を体験することはできないため、体験者と同様の関係性を体験することはできず、語りあうことも困難である。

 

オンライン版の視聴者は、マルチアングルで作品を閲覧することができるものの、ダンサーとのインタラクション、ステージ内での物理的な空間移動を体験することはできないため、やはり同様に、体験者と同様の体験を関係性を体験することもできず、語りあうことも困難である。


長々と与太話をしてきたが、border2021は、「体験者と体験者以外の存在者を含む異種混交的な関係性が絶えず新たに生み出されていくプロセス」というANTの概念をインタラクティブアートに持ち込んだ作品として、インタラクティブアート史に刻まれる作品でありながら、その体験の本質を語り合えないというところに面白さを感じたのですよ。